英語が話せることはそんなに強いのか?

「カナダの永住権(PRカード)を取得しました」と「2つのパースペクティブ」

上の記事に英語が話せることで、2つのperspective(視点とか見方)が得られるって書いてたのを見て共感を覚えたので、思ったことを書いてみる。

僕も今タイ人、中国人、日本人が入り混じってるオフィスで働いている。彼らの英語は正直言って、かなり雑だと思う。文法は間違いまくってるし、過去形を現在形で話したり。そういうかなりブロークンな英語を話してる。そんな英語で大丈夫か?という声も聞こえてきそうだけど、実際の所はこれでなんとかなっている。もちろん、公式な資料を書く場合はもっと高度な英語能力が求められるだろうけど、今の所はそこまで大きなトラブルになっていないようだ。現に会社自体の売上はかなり良いみたいだし。

でまあ、英語話すことに価値あるのかなーって最近はかなり思う所があって。正直、そこまでの意味合いは無いなというのが率直な意見です。確かに英語はできると便利だし、現段階では外国人とコミュニケーションとる際に極めて有効な言語。それは否定しない。だけど、そこまで必死で身に付けるべきものなのか?という考えも最近あります。

実際、今の日本では多くの人が英語が喋れないけれど、それでもちゃんと仕事をしてご飯を食べることはできている。最近はオフショア開発があるから、IT系の人は海外に仕事が取られる!だから英語を~という話もたびたび見かけるけど、これは誤った推論だと僕は思っている。国によって求める文化が違うし、仕事の仕方・様式だって違う。システムの仕様を決めるというのは、そういう込み入った部分も含めて話を進めることになる。特に根幹となる重要なシステムなんかは身内でやった方が安心感があるし、失敗した時のリスクも計算しやすい。

そうなると、人件費が安い国に仕事をどんどん持っていかれるっていうのはほぼあり得ないんですよ。逆にたいして重要で無い仕事は海外の方に投げる可能性もある。この形態って、どっかで見たなーと思ったら派遣切りの構造と同じなんですよね。どっちでもいい仕事は取られるという話しで・・・。それなら語学勉強するよりも、実務に関係した勉強を優先しろって話になるわけです。もちろん、IT系はそれを抜きにしても、仕事の上で英語が必要になる可能性は高いです。参考資料とか英語で書かれたものが多いし。でも、それは英語が読める能力しか求められない。英語が話せる能力ではない。

まあだから、必死で英語できないとダメ!的な風潮ってのは滑ってるような印象をどうにも受けてしまいます。逆に考えると、ここまで英語を勉強せずに過ごせたのは海外を今まで視野に入れずに済むくらい教育、経済の面で充実させてきた先人達だったのかなあ、という気もしてます。

ただ、英語が話せない自分と話せる自分を両方経験した視点から言うと、やっぱり喋れた方が便利なんですよね。まず旅行の時にドンと構えれる。英語が話せなし聞けないから、人と会話できないよーっていう子羊のように怯えることは大分少なくなりました。癖の強い英語は未だに慣れませんが・・・。

あと、ニュースとか読めると多面的に物事を捉えれる機会がグッと増えますね。原発問題の時に、結構これを痛感した記憶があります。BCCとかCNNと国内新聞の報道内容が全然違ってたのを見て、なんじゃこりゃ?って思いましたし。

さっきの参考資料の話に繋がる部分ですけど、参考にできる資料が増えるっていうのも大きいですね。以前、自分のMac ProにBootcamp環境でUbuntuを入れようと試みたことがあったんですけど、英語で書かれたサイトがひっじょーに参考になりました。

あとはコミュニケーション。他国生まれの人とカルチャー的なトピックを話すのは面白いです。それにしても、日本のアニメは本当にすごい。だいたい何処に行っても話題が通じる。特にナルトとか。忍者してない忍者マジすげえ。

グローバルでドヤ顔するのが大嫌いな僕からすれば、英語は話せないとダメ!!とは絶対言いませんけど、まあ適当な英語で通じる世界もあるし、ちゃんと出来ればそれなりに便利だよーって事を伝えれればいいなと思いました。